コメが高い高いと言っている消費者の声が聞こえます。しかしほとんどのコメ農家は利益なしでというよりは赤字でやってきています。というのは長らく減反政策が続きました。減反政策というのはコメの代わりに野菜やコメに代わるものを作れという政府からの半ば命令によるようなものでした。
私の周囲の家はほとんどがコメ農家でした。といってもすべてが兼業農家27軒でした。しかし残っ顕ているのはもう2軒になってしまいました。あとの農家は田んぼを手広くやっている人に預けています。また最近では自分の田んぼにアパ-トやマンションを建てている人も多くいます。コメを作るより手っ取り早くお金になるからです。
減反政策はいまから40~50年前に始まったと思います。コメの価格が大きく下がらないためにコメの生産を少なくしていこうという考えです。これにより作目をコメ以外に変えなくてはなりませんでした。また外国から入ってくるコメに対抗するためでもありました。当時は本当に何分の一かで外米が買えたと思います。コメがなければ日本産の高い日本のコメより外米を買えばいいだろうとの考えでした。戦争や対外問題がなければこの考えでよかったのです。でも生産農家はそれでも毎年惰性のようにコメを作っていました。
それができにくくなったのは以下のようなことからです。
コメを生産するためにはたくさんの機械と納屋が必要です。田植え機、刈り取りのコンバイン、乾燥機、もみすり機、運搬用の軽四トラックそして保管用の納屋です。機械や軽四トラックを合わせると小さいものでもざっと1,000万円と納屋が必要です。1軒の農家でこれを常備できるところは少ないのではないかと思います。各機械の償却は通常5年から7年です。多くの田んぼをもっていれば別ですが1軒の農家の保有している田んぼはそんなに多くありません。実際にコメ農家にはその上に肥料、農薬、機械の燃料代、電気代がかかります。特に肥料、農薬は最近その価格が倍になっています。人を雇っている農家は別ですが普通の農家は人件費を勘定に入れません。利益が出ている零細な農家はありませんし毎年赤字で農業をしているのです。これは田んぼを荒らさないためでもあります。
しかし辛抱にも限界があります。やればやるほど赤字が出るものにお金をつぎ込むことにも限度があります。農家の事情を知らない人はなぜこんなにコメのお金が上がったのか腹立たしい思いがしていると思いますが、ほとんどの兼業農家は手広くコメを作っている人に田んぼを預けて離農してしまいました。無理からぬことです。
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